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コロナ禍の今、多くの人が自粛を求められ、人と人との関係が対面からデジタルを介しての遠隔での関係となってしまいました。
その分、私たちの情報源はTV(テレビ)や新聞、ラジオ、ネットなどのメディアや、我々が他者とのコミュニケーションのツールとして使用しているSNSとなってきています。
むしろ、人との対面での接点が断たれた今、そこからしか情報が入ってきません。
メディアは多くの有益な情報を提供してくれます。
その中にはあなたが知りたかったこと、知りたくなかったこと、様々な捉え方があると思います。
しかし、私たちが本当に目を向けなければならない部分はそこではありません。
そもそもメディアの目的はなんでしょう。
それは聞いてくれる人、見てくれる人をできるだけ獲得することです。
私たちに正しい情報を与えることではありません。
私たちにとって有益な情報を載せることが結果的に視聴者を増やすことにつながるためそういった情報をのせるのであって、あくまで視聴者が獲得できればそれでいいのです。
もちろん、ただただ正しくないデマを発信していては視聴者からの信頼性も失われ、誰も見てくれなくなります。
ですが、私たちにはわからない程度の誤差を操作することは簡単にできてしまいます。
もう一度言います。
メディアの狙いは絶対的に正しい情報を流すことではなく、視聴者をできるだけ獲得することです。
決してメディアを批判している訳ではありません。
ただ、本質を理解していない人が多く、その本質を知るだけで世の中の見え方が大きく変わることを皆さんに伝えたいのです。
SNSも同様に考えられます。
今、SNS上に公開された友人、他人の投稿を見て自分と比較してしまい、精神を病んでしまう若者が増えています。
それはその友人、他人があたかも常にその状態、つまり自分とは異なる理想の状態であるかのように錯覚してしまっているからです。
SNSの本質はなんでしょう。
それは友人や他人に目を引いてもらえるようなものを投稿して「いいね」や「フォロワー」を稼ぐことです。
それでは日常をあげているのでは簡単に獲得できません。
皆が関心を持ってくれるもの、つまり普段では起こりにくいものをあげる必要があり、多くの場合、私たちはそのようなものを投稿しています。
したがって、SNS上に投稿されているものは各々が他者に見せたいものだけが挙げられている、理想の切り取りが散らばる場であることを認識しなければなりません。
本サイトではそんな社会の本質、仕組みを俯瞰することで見えてくるものについて話していきます。
メディアの上手な活用法
メディアの本質とは
では、メディアの本質に関してもう少し詳しく深掘りしていきます。
冒頭でも述べたように、多くのメディアは見てくれる人、聞いてくれる人を獲得することを目的として情報を発信しています。
正しい情報を流すことが結果的に信頼を得て視聴者を獲得することにつながるだけであって、決して完璧に正しい情報を流す必要はありません。
ただこの言い方だとあたかも実際に起きていないことを発信しているように聞こえますよね。
それは修正しなければなりません。
実際に起きていないことは大まか発信はしていません。
適切な言い方をするならば
「全体を見せず、一部分のみを切り取り過剰に発信」している
と言えるのかもしれません。
これだけではわかりにくいと思いますので具体例をあげてみます。
韓国の反日報道
皆さんは韓国(大韓民国)の人々にどんなイメージを持っていますか?
おそらく反日感情が強いと答える人が多いのではないでしょうか?
ではそのイメージはなぜついてしまったのでしょうか。
まさしくそれはメディアによるものであると思います。
日本の国旗にばつ印がついた旗をあげて声を荒げてデモを行う光景が浮かぶのではないでしょうか。
しかもそれが度々報道されているのが見受けられます。
それだけを見れば韓国の人々は日本が嫌いなのかもしれないというように、そのデモを見ただけで韓国人全体を見た気になってしまう。
これがメディアの特性です。
実際韓国の国民は反日感情を抱いている人の割合の方が少ないんです。
なおかつデモで抗議していた人々は日本が嫌いで行なっているのではなく、当時の日本の政府の方針に反感を覚えていたのであって反日感情の訴えではありません。
もちろん、純粋な反日感情を持っている人々もいますがごくわずかです。
このように一部分をあたかも全体像のように発信する傾向があります。
そのほうが視聴率、アクセス数が取れるからです。
その狙いが視聴率、アクセス数でない場合もありますが見ている人、聞いている人に対する何か狙いを持って発信していることを私たちは理解しておく必要があります。
コロナ禍で見えるメディアの特性
コロナ禍での報道でも同じようなものが見えてきます。
PCR検査によって陽性を出た人数をコロナウイルスにかかった人数として大袈裟に報道しています。
しかし実際はコロナウイルスにかかった人数が重要なのではありません。
コロナウイルスにかかっても何も症状が出ない人や風邪程度で済む人もいます。
ましてやPCR検査はその人の免疫で既に死んでいるコロナウイルスにも反応してしまい、陽性と出ることがあります。
そんな不確かな人数をあたかもコロナウイルスの拡大度として全面的に報道しています。
もちろん、コロナウイルスの脅威を嘘偽りとして批判したいのではありません。
ただメディアの特性が特に顕著にあらわれていることを感じ取っていただきたいのです。
メディアとの付き合い方
では私たちはどのようにメディアと関わっていけば良いのでしょうか。
メディアが報道する事実に誤りはありません。
そのため、自分に必要なもの、役立ちそうな部分を取り入れることは間違いではありません。
ただ全体像をそのまま発信するのではなく、話題になりそうなもののみを切り取って過剰に発信していることを理解した上で、その情報を鵜呑みにするのではなく、なるべく多くの情報源の仕入れをもって自分の考えを確立していくことが重要だと思います。
その情報にのせられている見えない発信者の私的感情や意図を客観視して、正しい事実のみを吸収し、そして多くの文献が揃った段階で自分の意見を導き出すことを意識してみてください。
そうすることでメディアのみならず、世の中に溢れている情報に振り回され、自分の行動が下手に支配されることなく、自分らしく生きられるようになると思います。
そんなメディアなどの発信源を真っ向から批判するのではなく、そういうものなんだなといった程度に捉え、自分の必要な時のみ活用していくことが上手い付き合い方なのかもしれません。
SNSとの向き合い方
SNSの本質
SNSはとても便利なものです。
一昔前は実際に会わうか、人から聞かない限りその人が今どこで何をしているかなんてわかりませんでしたが、SNSは常に他の人の行動を把握することが可能です。
そこで問題になってくるのがSNSに支配される生き方です。
近年、発達したSNS社会において他人との比較によって精神を病んでしまったり、悪影響を受けている人が増えています。
あの人はこんなすごいことをしている、、
あの子はこんなに楽しそうだ、、
なんて人と自分を比較したことが誰しもあると思います。
自分よりも理想に近い行動、生活をしていれば皆比べてしまうのが普通ですよね。
もっと自分もこうしてやろう!と自分自身に改善点を見つけ、向上していける人もいます。
しかし、大体の人がSNSでの充実に矛先が向いてしまうのです。
SNSの投稿のためにこうしよう。
SNSのためだけにあれを買おう。
そんな風に思っていませんか?
いつしか私たちは現実の充実を無視し、日常のように振る舞った理想の自分像を非現実のデジタル上で発信して競争する生活となってしまっています。
そしてその競争に埋もれてしまった人が自分に自信を失い、精神を病んでしまうという結果になってしまうのです。
ここで知っておかなければならないのはSNSは人々が理想の自分像をあげる場であるということです。
決してそれをその人の日常全てと捉えてはいけません。
自分が何か投稿を発信する際の時を思い出してみてください。
写真であればもっと良い写真がないかなとか、ここ編集しようとか
一番良いものを選出しますよね。
皆同じです。
その場にはその時の最高の状態のものしか存在していません。
それがわかるだけでも少し気持ちが楽になるのではないでしょうか。
SNSとの向き合い方
ではどのようにSNSを利用していけば良いのでしょうか。
SNSでは私たちにとって有益な情報、ためになるものが数多く存在します。
娯楽のためだけでなく、緊急時に私たちの命を救ってくれるかもしれない情報までもあります。
それらを活用できるという意味ではとても有力なツールになります。
しかし、それ以上は踏み出さないでおきましょうということです。
SNS中心の生活になってしまわないようにしましょう。
かえってSNSを軸に生きていった方が充実しているんだという人はもちろん反対するつもりはありません。
ですがSNSを活用している中でどこかいきずらさを感じてしまっている人、また自分らしさをかき消して大衆のニーズに無理に合わせようとしてしまって個性を剥奪してしまっている人は一度SNSというデジタル上の世界を俯瞰してみてください。
自分に生きずらさを感じさせている原因が見つかるかもしれません。
日々変化していくこれからの生き方
ここまでメディアやSNSとの上手な活用の仕方についてまとめてきました。
私たちの住む世界は今まで、そしてこれからも変化し続けています。
そんな変化が絶えない世界をうまく生きる上で大切なのは客観視する姿勢を持つことです。
どんな新しい情報にも裏にはさまざまなビジネスが絡んでいたり、その発信者への利益のために変容されていることがあります。
もちろん全ての事象において新たな情報に対する排除する姿勢をもってはいけません。
また新しいものを真っ向から批判したとしてもそれは上手な生き方とはいえません。
新しいものの本質を俯瞰し、そのものがもつ特性をしっかり理解する姿勢が必要となります。
その目を養うことで目まぐるしく存在する多くの情報に左右されることなく、本当に必要な情報のみを取り入れ、個性を失わずに自分らしく生きることができるのです。
自分らしく生きることが上手に生きることにつながるとは言えないかもしれません。
でも少なくともそうすることで少しは気持ちが楽になると思います。
本ページではコロナ禍でメディアやSNSが情報源の中心となった現代の生き方について書いてきました。
見たもの聞いたものを一度頭でフィルターにかけて考えてみて、一つだけでなく多方面からの情報を取り入れ、物事を多角的に捉える一歩引いて客観視する姿勢が今後の社会を生き抜く鍵になってくるのだと私は考えます。
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